『天地明察』

……と云うわけで、3年ぶり(汗)の読書日記は、本屋大賞受賞おめでとうございます! の、冲方丁天地明察』(角川書店)。天地明察


実は、初版発売時からキープはしてたのですが、実際に買ったのはつい先日、読んだのは今日と云う、何ともかんともなアレコレ。いや、実は本屋大賞獲るって話は随分前に聞いてたので、買わなきゃ読まなきゃとは思ってたんですが――今回は、何か食指が動かなかったんですよねぇ。


読んでみて、そのわけがわかりました。
うん、何て云うか、私が冲方に期待してたのとは違うなァ、って云う。
いや、面白くないわけじゃあないんですよ? 普通にするする読めたし、建部昌明&伊藤重孝のおじさん(おじいさん?)コンビなんか、笑わされるは泣かされるはだったし。水戸光圀公は水戸の閑隠居じゃない烈公を思い出して(ちょっと似てる)面白かったし、保科正之公なんかもいろいろ思うところがあったりして、それはそれで良かったのです。
ただ、何かねェ……フツーなんだよなァ……
何ていうか、心の表面15cmくらいのところに手を突っこまれたくらいなカンジ、と云うか、心の奥底までは揺さぶられなかったんだよねェ。うーん。


私はそもそも『マルドゥック・スクランブル』(全3巻 早川文庫JA)から入った人間なので、あれとか、それ以前の『ばいばいアース』(全4巻 角川文庫)とか、あるいは『微睡みのセフィロト』(徳間デュアル文庫――早川文庫JA)とかのSF、あるいは『ストームブリング・ワールド』(1〜2巻 MF文庫)や『カオス・レギオン』(富士見ファンタジア文庫)なんかのラノベあたりのイメージがあるんですけれど。
このあたりの、何ていうか“若さゆえの体当たり”的なお話と、今回の『天地明察』ってのは、もうずいぶんはっきり違ってきちゃってるんだなァ、と云う、妙な感慨がありました。
そう云えば、最近の『シュピーゲル』シリーズにも手が出なかったんだよね。多分これも、読んでもそんなに面白いと思わないんだろうなァ。
この辺の自分的直感のわけはよくわからないのですが――こういう勘は外れたことがないんだ、実は。


相方に云ったところ、「それは、冲方が守りに入ったって云うか、昔ほどの情熱がなくなったんじゃない?」と云ってましたが――そうなのかなァ、まァ、いろいろ成功しつつあるみたいだし、やっぱもう冒険はできない年齢に入っちゃってるのかなァ。子どももいるわけだし、失敗できないところはあるんだろうけども。
まァでも、相方の云うように、『マルドゥック』書いてた時みたいな“吐きながら書く”って云うのは、もう冲方にはできないのかもね。安定しちゃったと云うか。
安定するって云うのは、一般的には悪いことじゃあないと思うんですが、ことものを創る人間にとってはなァ……
感動させるって、人の心の深いところを揺り動かすことなんだと思うんですが。結局それって、“正常”からの大幅な逸脱によってしか、難しいんじゃないのかなァ。
いや、浅いところを掬ってだって、心が動かないわけではないとは思いますよ? だけど、存在の根底に近いところまでを揺り動かすってのは、やっぱり相応の苦労って云うか、ううぅぅん、何だろう、凄いパッション? とかが必要なんじゃないのかなァ。


でもまァ――確かに、安定したからこその本屋大賞なのかもね。
何て云うか、これまでの本屋大賞に選ばれた作品(すべて未読ですが)を見ていると、そんなカンジがしますもん。逸脱じゃなくて、小幅な揺れの心の掬われ方をする話、って云うイメージ? 奇怪なもの、グロテスクなもの、過剰なものは、大勢の支持は得られないのかも知れないなァ。
でも、それでは掬われない/救われないものも、たくさんあると思うんだけどね。
少なくとも私は、『マルドゥック』や『ばいばいアース』なんかの、あの過剰なまでの熱情、蕩尽に近い労力の浪費(だと思う)が好きだし、それが欲しいのですが。
ううぅぅん、世間のニーズとはつくづく合わないなァ。
でも、実は後々まで残るのは、安定したものよりそう云うものだと思うんですけども。


どうも今ひとつすっきりしないなァ……
まァでも、今年のノミネート作を見たら、確かにこれは凄い快挙だとは思うんですが。
個人的には諸手を上げてはちょっと……
まァまァ、これでこのまま安定して、直木賞でも獲ってくれたら、それはそれで嬉しいんですけどね、ファンとしてはね。
でもまァ、何か淋しい気がするんだろうなァ、きっと……
とりあえず、今後の冲方に注目したいとは思います……