表紙って、いろんなものを表すよね。

と思った今日この頃。


本日の本は『時を編む者』澤見 彰by光文社カッパノベルス時を編む者 (カッパノベルス)
何で表題のあれに行き着くかというとですね、この本、表紙が萩尾望都だったんですが、何て云うか、絵にパンチがねぇ! よく見ると、人物の目許とかは、確かに萩尾望都なんだけど、全体のパワーがねぇ……全然なんですわ。
カバー絵って、結構、内容の出来不出来が現れるものなんだけど(『マルドゥック・スクランブル』の表紙by寺田克也見た時は、真剣に凄い話っぽいと思ったもん)、これは駄目だなぁ、って云う、もうそこでオーラが違うんだよね。あれって不思議。読まなくてもわかるんだよなぁ。


で、まぁ買ってはみたんですよ、叩きつけるほどではなさそう(←それってどうよ……)だと思ったので。
……田中芳樹が褒めるはずだ。小粒だよ、この人。
簡単にあらすじを云うと、擬似マヤ・アステカ乃至インカ帝国に、擬似ポルトガルが攻め込んできて、植民地化を推し進めてるあたりの時代設定で、擬似ポルトガル人の主人公アレジオと、その元親友エバンスが、まぁぶっちゃけこの国の将来を賭けて戦う、みたいな話、かな。そこに、なんかよくわからない白い子供(それが“時を編む者”なわけだ)が噛んでくるのですが。
うーん、うーん、この人も、中途半端に歴史を作ってるんだよなぁ。つかさ、高地に貴族が住んで、湿地に農民が住むのはあれとしても、陽のほとんど差さない不毛の大地で、毎年洪水や土石流が発生して、常に病気と飢餓で苦しんでいるのが農民なら――一体、高地に住む貴族たちの生活を支える基盤って何なの?
つか、そんな土地で、なおかつ未開の住民ならさ、そんな土地捨ててみんな流民になるよ? 古代日本だって、そうやって流民になるものが絶えないって記録が残ってるのに。
つか、それはまた激しく措いとくとしても、そういう環境の中で「体力と豪気あふれる者たち」って――いないよ、そんなの! つか、いたとして、そんな土地で「こそ泥」って、無理だから、絶対!
あと、当時の中南米は、「帝国」とは云いながら、その言葉から想起されるような中央集権国家というのは存在していませんでした。部族ごとの王がいて、それを取りまとめるのが「皇帝」だったんだよん。ちゃんと勉強した?


この人、例の「らいとすたっふ小説塾」の一期生らしいのですが、歴史描写における、あのなんとも云いがたい悪意が、如何にも田中芳樹の門下だなぁってカンジが芬々と。
まぁ、異常な体言止めの多さはこの際措いといて(でもウザいよ!)も、若い(27歳らしい)くせにこの講談調の文体ってのが何ともかんとも。合いの手に、扇子で机叩きたくなります。神田紫とか紅とかがやったらハマるかなぁ(褒めてない)。ただ、あまりにもリテレールが紋切り型&過剰なので、正直、読んでてウザったいです。
あと、短いエピソードを、行を開けずに(1〜3行措いたりせずに)入れるのは、まぁ構わないんだけど、頻繁に&続けてやりすぎです。これもウザい。
田中芳樹の粗悪なコピー(まぁ、舞台は違うけどね)と思って間違いないかな。これなら、荻野目悠樹(この人も“田中芳樹絶賛!”だった)の方が――マシ、なのかなぁ。荻野目、一作しか読んでないし、それも忘れたので較べようがありませんが。
風間賢二(解説)も、「無国籍時代剣戟小説」とか云って持ち上げるなよ。無国籍じゃないし、だからそれが問題なんだろ!


てゆっか、高里椎奈もこの人もそうなんですけど、下手に時代考証チックな説明入れるより、いっそDQやらFE的能天気な無説明の方がありがたいわよ、こうなると。下手に説明入れられると、多少なりともかじってる分(しかし、この程度、高校までの基礎知識と、新聞・TVの現在の世界情勢押さえてればわかりそうなもんだ)、見ててイタいんだよね。
つか、もう何度も書いてるけど、仕事しろ、編集
ましてここ数回取り上げてけなしてるのは、ラノベじゃない扱いのノベルスなんだけど。仕事してる? ホントに仕事してるか、編集?
出版業界は、まず編集者の再教育から実行すべきだろうと思う。
つか、少なくとも、ジュニア向けのレーベルでないところで出す話は、それなりのレベルにはしてください。時代劇マニアみたいに、考証で突っ込みいれてくるやつがいないと思って、それに胡坐かいてるんじゃない
仕事しろ、マジで。


あー、もう、もっと手に取る瞬間からわくわくする話が読みたいものです。最近では、『復活の地』(小川一水 ハヤカワJA)が最後?
作家諸氏、並びに編集者諸君の奮起を求む。


次は、『大奥 1』(よしながふみ 白泉社)かも。