ユダ萌え。

えーと、イスカリオテの。
以下、クリスチャンの方々的にはちょっとアレな内容の可能性がありますので、お読みの際にはご注意を。


何故かユダに萌えたので(何がきっかけだったんだっけ……DQカリスマ兄弟絡みだったとは思うんだけど)、参考資料になりそうな本を探してみる。つーか、まずはググってみたんですが。
しかし、キリスト教系スレとか、まぁ当然だけど信者の方々のサイトが多くって、仕方がないので書籍を探す――っても、遠藤周作以外あり得ねぇってカンジでしたが、聖書ならいっぱい持ってるし(いろいろあわせて7,8冊)。
で、読んでみたのが『イエスの生涯』新潮文庫イエスの生涯 (新潮文庫)
……私、実はこの本が初遠藤なのですよ。『沈黙』の映画を高校時代に見た記憶があるくらい(『王妃マリー・アントワネット』も読まなかった)で、クリスチャンだったらしいってのしか知らなかったのですが……
いや、流石にすげぇわ、この人! あたしの探してたユダ像はこれだったのよ、って云うか、萌えましたわ、激しく!
正直ね、今まで聖書ってネタ帖として読んでましたよ私。しかも、旧約の方ばっかり。だってさ、曲がりなりにも私仏教徒(真宗ですわよ)ですしね、原始仏教(パーリ語仏典)は好きですが、一神教は嫌いだったんだ、つぅか今でも好きじゃありませんが。あの、ユダヤキリスト教系“怒れる神”“妬む神”ってのが気に入らず。西洋思想系でも、ルネサンス以降に表舞台に出てきた、例の自然魔術なんかの方が親和性があるのですよ。あれって、基本理念はギリシア哲学から引っ張ってるしね。キリスト教とはちょっと違う。
まぁそれでも、旧約の方は、各国神話みたいな、原始的宗教として読む分には面白かったのですが。
むしろ新約になると、イェホヴァが“怒れる神”から“愛する神”にシフトチェンジしちゃってて、その分密度(えーと、神話的ポテンシャルと云うか)が低くなってつまんなかった。イエスを称えるばっかの内容だったしね。あたり前だけど。


しかし、この『イエスの生涯』は違った! 遠藤の書くイエスは、ちょっと老け込んで、痩せた、目の落ち窪んだ疲れた感じのただの男で、自分と、自分を取り巻く人々との視点、と云うか視野、と云うか、そんなものの埋めがたいギャップに苦悩する人だった――奇跡ではなく、ただ寄り添うこと、お遍路における弘法大使の「同行二人」みたいなののリアル版と云うか。
でも、人々は今のシャロンさん的武闘派メシアを望んでいる――そして、勝手にイエスに期待して、勝手に裏切られて去っていく、その繰り返し。
その幻想と幻滅と裏切りのクライマックスが、エルサレム入場以降の一連のあれと云うわけなのですが。


ここで凄いのが、ユダの解釈! ユダの裏切りのわけが、単なる期待→幻滅→裏切りではなく、むしろイエスの本質=愛をもって苦しむ衆生に寄り添う、と云うのを理解した上での裏切りだった、ってのに、もう! 悪いけど、ペテロとかマタイとか、底が浅くって好きじゃないんだ。遠藤も、割とユダ好きだよね、何か、筆がさ……ユダとそれ以外とで、走りが違うんだもん。
エスとユダのことを語る筆が、なんとも云いがたくエロいんだ、って云うと、普通の遠藤ファンからも怒られそうだな(汗)。でも、こういうユダが見たかった! 苦悩する罪人であるところのユダが! 師への押さえ切れない愛情と、しかし自分の理想(ってわけじゃホントはないんだけど)との間で悩んだ挙句に理想を取り、愛を失って嘆く罪人、ってのが! しかも、その弟子の心を知りながら、それでもその苦しみにすら寄り添おうとするイエス、ってのが!
うわ〜、もう、下手なBLよりエロいよ、これ!


欲を云えば、もっとユダを掘り下げた小説が読みたかったなぁ。この人ならば、きっとすげぇものが書けたと思うんだけど。もうぐしゃぐしゃなユダの心理とか、読んでみたかったなぁ……萌えたろうなぁ……
まぁ、その辺は、自分で妄想広げますよ。こういう時、物書きって便利だよねぇ、ふふ♥ ああ、もちろん流石に、ユダイエスユダなんぞはやりゃしませんがね(笑)。ええ、オリジナルとかでね。


しかし、世の中には蛮勇を誇るひともいたようだ――
相方に、ユダ関連のデータ検索をさせたらば、ユダ×イエスのサイトの痕跡を二ヵ所発見したと云ってました。痕跡。
痕跡だけかぁ……やっぱ厳しいネタだよねぇ……